現在の取り組み
未来をみつめ、文字を育て書道家である筆育士の諏訪麻里子です。
墨滴会の師範として、2018年3月に自身の書道サロン「結」を設立。
対面とオンラインを合わせて、レッスンの開催は、延べ1000回を超え、書の技術と心の育成に力を注ぎ続ける。
また、大手通信学習ユーキャン教材のお手本書きや第35回全日中展・東京書画芸術大展に選出され、東京都美術館に展示されるなど、その実力は多方面で証明されている。
女性として、3児の母、放射線技師から書道家になった人生。
39歳の時に、8年前の母の死をきっかけに病気をみつける放射線技師から病気を作らない心づくりと居場所づくりのため、書道家に転身。
自分の自信を自分で育てる「筆育」
書道サロン「結」は、ただ美しい文字を学ぶ場所ではない。
女性が自分らしく文字も心も整う自分だけの心の居場所である。
今の私があるのは…
以前私は、18年間、総合病院で診療放射線技師として勤務し、のべ1万件以上のマンモグラフィ検査に携わってきました。
女性技師として、私が一番大切にしてきたことは、ひとりひとりの患者さんの気持ちに寄り添うこと。
検査後に「諏訪さんに撮影してもらってよかった。」「痛いと思って怖かったけれど、これならまた来年も検査に来ます。ありがとう」という患者さんからの言葉や笑顔がとても嬉しくて、技師の仕事にとてもやりがいを感じて働いていました。
しかし、私は、8年前に最愛の母を病気で亡くしたのです。
医療人として、たくさんの人の生と死を身近に感じ、生きてきましたが、母親の死を簡単に受け入れることはできなかったし、医療人でありながら、母親を助けてあげられなかったと自分自身をかなり責めました。
悲しさや心にぽっかり穴があいたまま、仕事に育児に家事で時間に追われる毎日。
自分のために使える時間はほとんどなく、つねに自分のことは後回し。
忙しいからこそ、母を亡くした喪失感を忘れることはできても、夜になると毎晩泣いていました。
自分の心を労わる時間や自分を大切にする時間がない日々が続いた結果、私は突然心の糸が切れてしまい、
起き上がることができなくなり、なにもできなくなってしまい、自分自身の「心」に限界がきてしまったのです。
そんなときに、昔習っていた書道教室の先生でもあり、現在の書道の師匠との「奇跡の再会」がありました。
母も65歳で仕事を退職し、亡くなるまでのたった2年間のあいだに、自分のためにはじめた趣味が書道でした。
母がいつも楽しそうに筆を持って、書道をしていたあの頃の笑顔を思い出しながら、母が当時使っていた筆1本を持って、私は一度やめてしまった書道の世界へ再び飛び込みました。
書道を再開させたときの私は、誰かに教えていこうという気持ちは全くなく、月2回、仕事が終わって、子どもを保育園にお迎えに行くまでのたった30分という短い時間、忙しい時間の合間をぬって書道を習いに行く。
でも、「たった30分でも自分のために使える時間があること」で、
その日あったつらい気持ちや悲しい気持ちが、墨の香りで癒される。
帰ったら、あれもこれもしなきゃという思考を、目の前のお手本を見ながら、集中して文字を書くことで、
ストップできる。
「書くことで、自分の心が整う」
それまでは、いくら毎日がんばっていても、自分のできていないことばかりに目が行き、自分のことを認めることがなかなかできませんでしたが、
書道のお稽古では、一生けん命、その日の課題を書き上げ、達成感を感じることができました。
その達成感の積み重ねがあることで、毎日がんばっている自分に目をやれるようになり、自分で自分を認めてあげられるようになっていくとともに、
自分の書く文字の変化を通して、自分の自信を自分で育てていくこともできました。
ほんの少しでも「自分のために使う時間を大切に」心にゆとりが持てたことで、自分の本来の心を取り戻すこともでき、以前よりイライラすることや怒ることも減りました。なかでも嬉しい変化は自分にも家族にも笑顔もとても増えたことです。
私にとって書道は、人生をプラスに大きく変えてくれるとともに、自分のこころと向き合う大切なものになりました。
筆育をはじめたきっかけ
私が書道をするようになって、私の変化を感じてくれた友達から、「文字を教えてほしい」と声をかけてもらうようになったのですが、私自身、誰かに教えていこうと思っていなかったので、すごく悩んだんです。
しかし、当時年長の息子と一緒なら教えられると思い、文字を教えることを始めました。
子どもたちがとても楽しそうに文字を書く姿が嬉しかったし、「文字書くのって楽しいね」と喜んでいる子どもたちの笑顔を見た友達から、「まりちゃん教えるのが上手だから、教えていくことをしてみたら?」の言葉をきっかけに、技師の仕事をしながら、2018年3月に日曜日限定で、自宅で書道サロン「結(むすび)」をオープンさせました。
はじめのころは、友達中心に「お名前レッスン」をメインに、私が準備しておいた名前のお手本を書いてもらうレッスンからはじめていきました。
文字がきれいになることでみんな喜んでくれることは、とても嬉しかったのですが、レッスンを開催すればするほど、その人が今まで書いてきた文字の良さや個性を消してしまっているのではないか?と私の中で疑問を感じるようになりました。私のレッスンに来てくれる人は、自分の文字に自信がない女性やお母さんが多かったので、文字の変化を通して、自分に自信を感じてもらえるレッスンをしていきたいと考え、始めたレッスンが、今の筆育の原点でもあります。
最初は少ない人数でやっていましたが、筆育の価値をわかってもらえる人たちが徐々に増えていき、その人たちからのクチコミが自然と周りにも広まり、副業ではありましたが、のべ300回以上、女性や子ども、親子レッスン、起業家向けにレッスンを開催するようにまでなりました。
これをきっかけに、2020年10月に私のオリジナルの言葉として、教育部門で「筆育®」を商標登録したのです。
技師の仕事にとてもやりがいを感じてましたが、私がするべきことは「病気をみつける仕事」ではなくて、「病気を作らない心作り」に携わっていきたいと決断できたことによって、18年間放射線技師として勤めた病院を2021年3月に退職しました。
のべ1万人以上の女性の患者さんに寄り添って検査をしてきた経験を活かして、
次は筆育を通して、レッスンに来て下さる人たちの心に寄り添い、一歩踏み出したい人の背中を押せる存在でありたいです。
この思いから単発コースだけでなく筆育講座を作り、2021年6月から0期生とともに講座をスタートし、たった2年で3期生まで終了。
現在は1000回以上、約50人以上の方々の自分のなりたい姿や未来を叶えています。
私の使命と書道サロン「結」への想い
私は、8年前の母の死がなかったら、なんの迷いもなく、技師の仕事を続けていたと思います。
しかし、母が亡くなる2日前に私に残した言葉、
「私の人生、悔いはなし」
この言葉を受け入れられるまでに、私はとても時間がかかりました。
けれども、5年という長い歳月を経て、自分なりの答えが見つかりました。
それは、
「まりちゃんも一度きりの人生、後悔なく自分のやりたいことをやって、生きてね」
という母からの命のバトンであり、最期のメッセージだということを。
私の人生が「書道」でプラスに変わったように、私の筆育を必要としている人たちに届けていくことが、私の使命だと考えています。
自分の自信を自分で育てる「筆育」
書道サロン「結」は、ただ美しい文字を学ぶ場所ではない。
女性が自分らしく文字も心も整う自分だけの心の居場所である。
経歴
のべ1万人以上のマンモグラフィ検査に携わる
2021年3月に18年務めた病院を退職
5歳の女の子の 3児の母
略歴
自宅にて書道サロン「結」をオープン
のべ1,000回以上、女性や子供、親子レッスン、起業家向けレッスンを開催
オンラインレッスンを開始
2020年7月
筆育0期生の本講座開始
筆育1期生の本講座開始
2022年4月
筆育2期生の本講座開始
2023年4月
筆育3期生の本講座開始
筆育受講生のべ50人以上
実績
- ユーキャンより発売された「ペン字で脳トレーニング」のボールペン編のお手本担当
- 長岡天満宮 梅香賞
- 神奈川大学講師の経験
- ストアカ関西人気講師ランキング3位
- ゆめのたねゲスト出演2回